2011/11/05

『早過ぎたひと 世紀の伊達男 加藤和彦』

2011年10月15日、ハイビジョン特集で放送されたこの番組は、貴重なエピソードや証言をたくさん盛りこんで見ごたえがあった。ただ、見るまえから、見たあとさらに、いやな感じにつきまとわれている。 

なんだろう、と考えているところで、友人のブログを読んだ。きたやまおさむが10月の末に横浜で行われた茂木健一郎とのトークショーで、自死した加藤さんに対して猛烈な怒りをあらわにし「美化してほしくない」と語っていたという。それを聞いて「いやな感じ」の尻尾がつかめそうな気がしてきた。

最初に結論を書いておく。それ以後は読まなくて結構です。

「病気や事故で亡くなったのであれば素晴しい追悼番組だった」
「たった二年前に自死した著名人の美学をたたえる追悼番組を放送してほしくなかった」 


1)そもそも「早過ぎた」とはなんたる失礼、なんたる傲慢。では加藤和彦はいつ生まれていつの時代に生きればよかったと断じるのか。時代の最先端を走ったのは事実だが、早過ぎた、とはなんたる言いぐさ。 

2)「早過ぎた」にもつながるが、加藤和彦が徹底した美学を貫きとおせず、生きづらくなり自死した、とも取れる。そしてその死に方を否定しない。それも美学、と持ちあげなかったか。友人たちに明るく楽しくスタイリッシュに、きっとトノバン(加藤)はこうやって追想されたいだろう、と自死した死者の望むままでありたい番組作り、に走らなかったか(友人たちに罪はない。演出のことである)。 

3)加藤和彦の美学を賛美し、出演者もすべてスタイリッシュ。シーンもスタイリッシュ。自死を責めるひとはひとりも出てこない。坂崎幸之助に至っては、自分が加藤を音楽の表舞台に呼び戻さなければ自死はなかったのでは…ととれる発言をさせて(あえてこう書く)、だからこそ、ぼくは加藤さんの曲を歌いつぐ、と悲壮な決意を述べさせる。 

4)一般人の自殺でさえ報道でとりあげると影響された自殺がけっこうおきるという。著名人ならなおさらであろう。ましてこんな番組の作り方をしたら、「こんな天才と自分とは桁が違うなあ」で終わればいいけれど、どこでどんな影響が出るかわからないのではないか。 


考えすぎ、かもしれない。けれどNHK-FMブログの、 

  「強烈な美学を貫き、そして *美学に散った* 天才音楽家・加藤和彦さん」 
  http://www.nhk.or.jp/fm-blog/1000/97670.html 

という制作側の発言はメディアの公式な発言としてどうなのだろう。年間3万人以上、10万人のうち24人が自殺する日本の公的メディアとして。 
(参考URL・ http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2770.html ) 


全文を引用しておく。 


---引用開始 

『ハイビジョン特集“早過ぎたひと 世紀の伊達(だて)男 加藤和彦”』 BSプレミアム 10月15日(土)後10:00~11:29 (再)BSプレミアム 10月16日(日)後4:30~5:59 「あの素晴しい愛をもう一度」など数々の名曲を生み出した加藤和彦さん。多くのミュージシャンに影響を与え、日本の音楽シーンをけん引。加藤さんがいなければ、日本の音楽シーンは10年遅れていたとも言われている。そんな加藤さんの絶頂期は、生き方そのものが、時代の先端だった。貴重なギターやドラム類、高級スーツに靴のコレクション等。まさに“世紀の伊達(だて)男”と呼ぶにふさわしい姿だった。しかし、21世紀に入ると次第に才能の枯渇を感じ始めるようになり…そして、2009年10月、自ら命を絶った。 番組では、小田和正さん、泉谷しげるさん、高橋幸宏さん、坂崎幸之助さん、木村カエラさんなどのインタビューとともに、音楽だけではなく、生き方そのものに強烈な美学を貫き、そして美学に散った天才音楽家・加藤和彦さんの栄光と挫折そして、素顔に迫ります。案内役は、楽器や洋服など加藤さんの膨大なコレクションに囲まれながら、俳優・高良健吾さんが務めます。 

---引用終了